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[第4回:街のシンボルとして]
●国立西洋美術館世界遺産登録たいとう推進協議会 会長 石山 和幸さん ●聞き手 佐藤 輝光(松坂屋上野店)
国立西洋美術館を街のシンボルとして、山と街をつなぎ、アメ横・広小路の商店街の活性化につなげたいという石山会長の描いた世界遺産構想についてお話を伺いました。
今年7月パリでの祝勝会、ル・コルビュジエ財団ディレクターのリシャールさんと。
■上野の山と街をつなぐ、シンボルとして
佐藤:そうした町方の活動を支えていたのは、会長以外にもいらっしゃるのですか?
石山:私を含め2、3人ですね。3、4年前からようやく行政が関わるようになりましたが、こうした町方の地道な推進活動を続けてきたことは、街の人はほとんど知りません。どうしたらフランス本国に届くのか、どうやって活動を広げていくか、上野だけで騒いでいても何もなりませんからね。世界に向けてアピールしなければならない。フランスに伝えるといっても、直接できるわけではないので、大使館にアピールするところから始めて、本国に伝えてもらうしか手立てはありませんでした。
仏大使館の庭園にて、財日仏文化参事官(2013年当時)メジュールさんと。
上野駅の構内にバナーや垂れ幕、公園口には横断幕をつくり、一方でフランス大使館に定期的に文化参事官に面会に行き、毎年、フランスのル・コルビュジエの財団に足を運ぶ、ということを12年間続けてきました。
佐藤:12年間、石山会長を動かしてきた原動力は何ですか?
石山:最初はゴルフがきっかけでしたが(笑)、台東区の商店街を賑やかにしていくためには、何かしなければならないと以前から強く思っていて、それにはシンボルとなるものが必要だろうと考えました。国立西洋美術館が世界遺産になれば、そのシンボルになる。そうすれば、人は上野の山の文化ゾーンから下に降りてきて、それが商店街の活性化につながれば、という単純な発想でした。台東区には観光地として谷中、浅草、合羽橋など、いろいろ見所はあります。でも、アメ横・上野の広小路というのは、上野の山とつながっていません。松坂屋・吉池・多慶屋など大型店舗もありますが、文化ゾーンからは人が流れてこない。
松坂屋さんでさえ、上野の山の文化ゾーンからお客さんを引っ張ってくるというのはなかなか難しい。降りてくるのは2.5%が広小路、1%が谷中、その2つを足した数字が浅草へ行くというような感じです。上野の山に来た人はほとんど、そのまま公園口から電車に乗って、銀座や赤坂や六本木へ行ってしまう。この状況を何とかしたい。そういう危機感は、みんなが以前から抱いていました。
だったら、特別なことで広小路に呼ぶというのがいちばん早いだろうということで、世界遺産登録を実現できないかと考えたわけです。
■町方の盛り上がりをアピール
佐藤:たいとう推進協議会というのは、いつ頃できたのですか?
石山:2008年です。区が認めてくれた団体で、名刺には台東区のシンボルマークが入っています。私が動くのに、肩書きが台東区の商店連合会会長だけではどうしようもないので、町方の盛り上がりを示すために、推進協議会をつくって認定してもらったわけです。町方の活動を大きく見せ、台東区全体が盛り上がっているのをアピールするために、区長や議員をフランス大使館に連れて行ったり、区会議員や行政の担当者をフランスのル・コルビュジエ財団に連れていったり、とにかく組織を大きく、町方主体で推進活動を行っているようにアピールしていきました。
[つづく]