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[第3回:遺産登録記載延期、そして孤軍奮闘]
●国立西洋美術館世界遺産登録たいとう推進協議会 会長 石山 和幸さん ●聞き手 佐藤 輝光(松坂屋上野店)
国境を越えて、大陸を跨ぎ、海を越えて一つの文化圏として登録された他に例のない世界遺産・国立西洋美術館。登録に至るまでには、さまざまな難関があったといいます。国立西洋美術館世界遺産登録たいとう推進協議会の石山和幸さんにお話を伺いました。
フランス大使館で熱弁をふるう石山会長
(右手前/2010年)
■首の皮一枚でつながる!?
佐藤:世界遺産登録に至るまで、いろいろとご苦労があったと思いますが。
石山:ICOMOSが世界遺産委員会に出す勧告には、「登録(記載):世界遺産リストに掲載すべき」「情報照会:追加情報の提出を求め、その上で次回以降、再審議する」「登録延期(記載延期):推薦書の本質的な改定が必要で、登録を見送るべき」「不登録(不記載):登録にふさわしいと認められない」という4種類があるのですが、2008年に世界遺産委員会に推薦書を提出したところ、将来、世界遺産になった時に、どうやって保全・管理していくのかが課題となり、「ル・コルビュジエの建築作品」が外されそうになりました。世界遺産の条件がありますが、あっさりと学術的に無理だといわれたのです。でも、ICOMOS(イコモス)の学者の間で、ここまでやってきたのに、それでル・コルビュジエの建築が否定されるということでいいものか、ということになり、「不登録」から何とかワンランク上げて「登録延期」の勧告がなされ、書類を再考して提出することになり、何とか首の皮一枚でつながりました。
■前例のない新しい試み
佐藤:その後は、どうだったのでしょうか?
石山:2年後の2009年にスペインのセルビアで開かれた世界遺産委員会の国際会議には、行政の方と一緒に出席しましたが、この2回目の審査では、「情報照会」という勧告でした。「登録延期」から1ランク、押し戻すことができたのです。
2009年「情報照会」に1ランクupした、スペインセルビアの会議
この時、ル・コルビジェの建築物の保存・保全・管理というものが、国境・大陸・海をまたいでできるという前例のない新しいことが、世界遺産登録の会議で有効に働いたと、後にわかりました。日本という島国が海を越えて大陸とつながったことが、大きな理由だったわけです。これは余談ですが、ICOMOSの調査団が2回目に来日して再調査を行った際に、私のアイデアで会食を催しました。神田明神の神主さんに世界遺産の調査団が来るので、対応してもらうようお願いしたのです。実は神田明神というのは、江戸城を造る時に徳川幕府の指示で神田に移転したのですが、木造だったこともあって燃えてしまい、戦後、鉄筋コンクリート製になりました。しかし柱には漆を塗っているので、コンクリートっぽく見えません。こういう例は世界でも類がなく、非常に珍しい。そのことを本で読んで覚えていたので、神田明神に連れて行ったわけです。そうしたら、神田明神では、巫女さんの踊りを披露してくれたのです。神田明神の巫女の舞というのは日本人でも見たことがないもので、とても貴重な経験です。社殿の中も拝殿させていただき、江戸の頃の写真も見せていただきました。神田明神の後は、日本文化を紹介するなら、ということで二人の芸妓さんも呼びました。番傘をさして芸妓さんが神田の男坂を降りてきたら、ちょうど雪が降り出して、調査団の一行も、“これぞ日本の文化”といって喜んで、感激していました。それで男坂の坂下の天婦羅「みやび」で、皆さんとお食事しました。
吉住台東区長(当時・故人)他関係者と神田明神下「みやび」にて
上野の精養軒での数年後の会食では、「皆さんがこうやって日本にいらっしゃるのは、4回目ですが、変わらずここにいるのは私だけでです。ここまでやってのだから、なんとか私が死ぬまでに世界遺産にしてほしい」と挨拶したら、受けましてね(笑)。
佐藤:でも、本当に会長が地道に町方から盛り上げていったわけですね。
[つづく]
※写真はすべて石山会長にご提供いただきました。