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2016.10.17Special Interview「祝!国立西洋美術館、世界遺産登録決定!」②

[第2回:世界遺産登録への長い道のり]


●国立西洋美術館世界遺産登録たいとう推進協議会 会長 石山 和幸さん ●聞き手 佐藤 輝光(松坂屋上野店)

 

石山会長が国立西洋美術館の世界遺産登録に関わるようになったきっかけとは?そして、そこから10数年にわたって推進に向けてどのような運動を展開してきたのか、その長い努力の道のりについてお話を伺いました。

 

 

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決定発表後、各国の代表と

 


■きっかけは、ゴルフ?

 

佐藤:石山会長は、どうして国立西洋美術館の世界遺産登録に携わってきたのですか?
石山:そもそものきっかけは、ゴルフ(笑)。30年来のゴルフ好きですが、北海道から沖縄まで、国内にあるほとんどのゴルフ場を制覇して、海外のゴルフ場まで行くようになっていました。ハワイ、アメリカ西海岸、シンガポール、オーストラリアにも行きましたが、それでもゴルフ熱が収まらない。ある時、アジアのありとあらゆる場所にゴルフ場を持っているオーナーの方と親しくなり、JALの直行便でフランスへ観光に行かないかと誘われました。私にとっては初めてのヨーロッパ旅行で、ちょうどJALのパリ直行便(1986年)が就航した時。当時は好景気で、ゴルフブーム。でも、当時のフランスはゴルフ後進国で、フランス政府がゴルフ場開発に乗り出すというので、日本のODAの資金をスポーツ振興という名目で開発に充てることになったんですね。私が乗った第1便の飛行機も、文部省、運輸省などの政府関係者をはじめ、日本興業銀行や清水建設、鹿島建設の偉い人も乗り込んでいて、さながら政府専用機のような有様でした。そういうことで、フランスに25のゴルフ場が一気にオープンしました。城ごとを買い取ってゴルフ場にし、和食とサウナ付きの湯船を設けるなど、日本の従業員がこぞってフランスに行き、毎年、夏休みには、キャリア組の官僚が集まっていました。そんなことがきっかけで私もフランスへゴルフに行くようになったのですが、10年ほど経って、現地のゴルフ場で出会った清水建設の人から“ル・コルビュジエって知っているか?”といわれたんですね。

 

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パリ郊外フォンテーヌのゴルフ場にて

 

当時、台東区の商店連合会会長という立場でしたが、私は魚屋。そんな舌を噛むような名前は知らないといったら、台東区にある国立西洋美術館が世界遺産になるだろうという。のちにわかったことですが、国立西洋美術館の建設を手がけたのは清水建設だったんですね。そんなことをフランスで耳にしたのが、そもそものきっかけです。

 


■地道な推進運動を展開

佐藤:そんなことがあったのですか。その後、どう進んでいくのですか。
石山:フランスから戻って早速、国立西洋美術館を見に行きました。ル・コルビュジエのこともいろいろ調べました。それで、台東区に“フランスで国立西洋美術館が世界遺産になるという話を聞きましたが、ご存知ですか?”と尋ねると、“都庁ではそういう噂があるけれども、推進に向けて動くなら台東区からの方がいいのではないか”という話になっているというんですね。つまり町方から推進運動を盛り上げていかないと、世界遺産登録はなかなか実現できないと。でも、推進運動をする、といっても何をやっていいのかわからない。どういう運動をして、どうやって街全体を盛り上げていけばいいか、いろいろ思案しました。で、まず考えたのが、のぼり旗を作ろうと。

 

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2008年 左から上野広園内旗幟/商店街フラッグ/上野駅懸垂幕

 

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ル・コルビジェ財団事務局長 ミッシェル・リシャールさんと(2008年当時)

 

それから日本のフランス大使館を頼って、我々町方の推進運動を大使館経由でフランス政府に働きかけていくことができないか、それがいちばん早いのではないかと自分なりに考えました。フランス大使館の文化参事官の方を頼りに、毎月顔を出して、さらに世界遺産を推進するお茶会を上野の山で開催したり、西洋美術館の前で花見の会を開いたり、隅田川の花火に招いたりして、日本文化を紹介しながら、上野の町方の動きを一生懸命、アピールして、本国に伝えてもらうよう働きかけました。

 

当時も毎年、フランスへゴルフに行っていたので、1ヶ月ほど滞在している間に、ル・コルビュジエ財団というのがあることを知り、ゴルフの合間に財団に顔を出して、当時の事務局長ミッシェル・リシャールさんという方と通訳を介していろいろ話しました。この人がル・コルビュジエの世界遺産登録を企画した人で、現地で食事会を開いたりして、いろいろ日本の動きを話しながら、仲良くなりました。財団の人が日本に来た時も、いろいろな日本の催しに招いたりして、徐々に盛り上げていきました。


[つづく]

 

※写真はすべて石山会長にご提供いただきました。

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