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2023.12.26連載:インタビュー【東叡山 寛永寺 教化部執事 石川亮岳さん】創建以来400年に渡る、街とお寺の関係性

江戸時代初期の1625年に創建された、東比叡山寛永寺。長きに渡り上野の山から街を見守り、人々の拠り所となってきました。来たる2025年には創建400周年の節目を迎えます。今回は教化部執事の石川亮岳さんに、寛永寺と上野のつながりについて伺いました。

 

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今回お話を聞かせてくれた、東叡山 寛永寺の教化部執事・石川亮岳さん

 

寛永寺を創建したのは、天台宗の慈眼大師天海(じげんだいしてんかい)大僧正。徳川初代将軍の家康が深く信頼した人物で、次の秀忠、家光と3代に渡って重用されました。
「記録ですと、1623年に秀忠公からお寺を建てるための資金と木材を提供されたとあります」。その2年後、現在国立博物館がある場所に本坊(お寺の中心となる建物)が完成しました。

 

実は、上野の山には大名の下屋敷が建てられる予定でした。そのために土地を均していたところ、「幕府の祈願寺」兼「鬼門封じの寺」を建てようという計画が持ち上がったといいます。秀忠に命じられたのは徳川家のため、幕府のためのお寺ですが、「天海さんはそのためだけのお寺にするつもりはなかったようです」と石川さん。では、天海大僧正が目指したものとは何だったのでしょうか。

 

「(幕府の命で建てた堂舎以外にも)天海さんは自費で清水観音堂を建立し、さらにいろんな殿様がたの協力も得て、境内を整備しました。いまで言うクラウドファンディングに近いですね」
現在も顔だけが現存する上野大仏は、屋敷の建設予定地を寛永寺に献上したうちの一人、越後村上藩堀家の堀直寄が建てました。家康の側近でもあった津藩藤堂家の藤堂高虎は、境内に寒松院というお寺を造り、上野東照宮を建立しました。幕府のためだけであれば、本当はここまでやらなくてもよかったそうです。たくさんのスポットができたおかげで、数10年後には、より多くの人が寛永寺をお参りするようになったのです。

 

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寛永寺の中心である根本中堂。境内の空気は澄んでいて、思わず背筋が伸びます

 

目指したのは、「開かれたお寺」。桜の名所として有名な上野公園も、当時は寛永寺の境内に含まれていましたが、最初にここに桜を植えたのは、何を隠そう天海大僧正でした。奈良の吉野山から、1000本以上の苗木を持ってこさせたとか。第4代家綱の頃には花見スポットとして広く知られるようになり、第8代吉宗の頃には、人気のあまり人で溢れかえるほどでした。

 

そしてもう一つ、天海大僧正が仕掛け人とされているのが、谷中七福神。七福神めぐりをする人たちは、たいてい田端から始めて、不忍池の弁天堂をゴールにしていたといいます。そして「じゃあ、締めにおいしいもんでも食べようよ」と門前町にくり出すのが王道コース。手土産として人気を博したのは、七福神にちなんだ福神漬け。ちなみに福神漬けの元祖は、上野に本店を構える酒悦です。

 

「天海さんのアイデアがなければ、寛永寺はここまでいろんな人が集まるお寺にはならなかったと思います。さらに言えば、商人たちが彼らをターゲットにしてお店を構えることもなかったでしょう」
不忍池のほとりにある十三や櫛店や老舗鰻屋の伊豆榮、京都から江戸・上野広小路に進出したいとう呉服店(現在の松坂屋)も、その好例。もし天海大僧正がいなかったら、上野の景色はいまとは違っていたかもしれません。

 

天台宗の総本山がある比叡山と比べると、東の比叡山である寛永寺はずいぶん異色。いまでこそ比叡山にはロープウェイができ、観光地と言えますが、江戸時代にはもちろんそうではありませんでした。これに対して東叡山寛永寺は、エンターテイメントの要素が満載。浅草の浅草寺など、それ以前からエンターテインメント性の高いお寺は存在していましたが、徳川家の祈祷寺でありながら、市民の娯楽も兼ねたハイブリット構造は、天海大僧正のオリジナルと言えます。

 

「開かれたお寺」の精神は、現在にも引き継がれています。例えば、石川さんは台東区が主催するイベント「江戸・たいとう学」でガイドツアーもしています。
「寛永寺の境内を描いた江戸時代の浮世絵を見ると、町人や商人、刀を腰に差した武士など、本当にいろんな人がいるんです」
そうやって説明しながら、参加者と実際に上野の街を歩くのだそうです。

 

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気さくな笑顔で冗談を交えつつ、たくさんお話してくださった石川さん

 

2025年の創建400周年に向けて、記念事業もスタート。その一環として、根本中堂に奉納される予定の天井絵が制作されました。阿吽の対になった龍が題材になっていて、サイズは縦約6m×横約12mと木材に直接描画される天井絵としては国内最大級。東京藝術大学名誉教授であり、著名な日本画家でもある手塚雄二さんが手掛けました。

 

一般的な天井絵は、和紙や布に描いたものを天井に貼っていることが多いそう。一方、寛永寺の場合は、天井板に直接描いているめずらしいタイプです。しかもその天井板が、約 300 年前、寛永年間の木材であるのも特筆すべき点。そこに墨や白土、金、プラチナなど貴重な画材を用いて描いています。
これらの画材は長持ちするので、天井絵の劣化を防ぐのにも効果的。
「仏教では、非常に長いスパンで物事を考えます。弥勒菩薩がこの世に現れるのは、56億7000万年後とされています」

 

天井絵「叡嶽双龍(えいがくそうりゅう)」は、2024年2月から約1年間、手塚さんの回顧展に出品され、全国各地を巡回。その後、10月に「画竜点睛」が行われ、根本中堂に設置される予定です。これからの400年、あるいはその後も、きっとこの双龍が上野の街を見守ってくれるはず。

 

東叡山 寛永寺
住所 東京都台東区上野桜木1-14-11
TEL 03-3821-4440
開門・閉門時間 9:00~17:00
https://kaneiji.jp/ (外部サイトへリンクします)

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