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[第5回:上野を未来へつなぐために]
●寛永寺長臈 浦井 正明さん
●聞き手 佐藤 輝光(松坂屋上野店)
江戸の時代から、山と街一体で繁栄してきた、上野。上野が未来に向けて発展していくために、どのような工夫が求められているのでしょう。最終回では、長年、上野を見守ってきた寛永寺の浦井正明長_に、上野を未来へつないでいくためのアイデアなどを伺いました。
[寛永寺]寛永寺は、寛永2年(1625)に慈眼大師天海大僧正によって、徳川幕府の安泰と平安を祈願するために建立された徳川将軍家の祈願寺(後に菩提寺も兼ねる)です。天台宗の宗祖伝教大師最澄上人が開いた比叡山延暦寺に倣い、東の比叡山という意味で、山号は東叡山とされています。
※寛永寺の詳細については、こちら
寛永寺旧本坊表門
■導線の工夫
佐藤:今の上野には、どのような課題があるとお考えでしょうか?
芸術の散歩道(上野恩賜公園)
浦井:これだけ稠密な文化施設があるわけだから、下の広小路へつなぐ導線を工夫する必要があるでしょう。今、お客さんは公園口から来て、博物館や動物園を観たら、そのまま公園口から帰ってしまうでしょ。お客さんの流れを広小路につなぐ、あるいは逆に広小路に来た人も、ちょっと足を伸ばせば、博物館や動物園に来られるわけだから、そういう双方向の導線を考えてほしい。以前、東京藝大の宮田亮平学長に、広小路から左右に彫刻を飾るプロムナードを造ったらどうか、と提案したんです。藝大の学生さんの卒業作品を年に2点くらいずつ展示する。土台は一度造っておけば、上を変えるだけで済むので、毎年2基ずつ造って、10年かければ、左右10体ずつ並ぶ。それをやりましょうと。宮田学長も賛成してくれたのですが、なかなか実現できなくて。その代わりとして奏楽堂の前に数点の彫刻を並べてくれたのが、「芸術の散歩道」なんです。
佐藤:そういう経緯があったのですか。彫刻は、なかなか展示するところがないですからね。
浦井:油絵とか日本画については、20年くらい前から毎年、台東区が区長賞を出して、買い上げているんです。でも彫刻や鍛金は対象にならない。彫刻をやっている人は、展覧会すら難しいですからね。だから、せめて石膏じゃなくて、ブロンズや石の彫刻なら展示できるので、学生さんに発表の場を創って上げようと。それで人が通る呼び水になるなら、何よりですから。
※写真(左:蛹 中央:黒いライオン 右:問いかけ)
■街と山をつなぐアイデア
佐藤:上野の地域全体を考えるということですね。
今の上野広小路
浦井:公園口から来て、公園口へ帰るという人の流れは食い止めないと、街の活性化につながらないと思います。文化施設の人たちは、どうしても山の上のことだけ考えがちですが、上野というのは江戸時代から街と山とが一体で繁栄してきました。浅草寺だって、寺だけで発展してきたわけでなく、前町と一緒だったからこそ発展できたわけです。もちろん前町だけでも無理。だとすれば、文化施設がそれに代わって、発展の中心になり、街との交流をどう深めていくかを考えるべきです。以前、観光連盟に話をして、毎月の上野の催しを一覧表にして街に置いてほしいと頼んだことがあるんです。東京国立博物館に来た人は、藝大や西洋美術館で何をやっているのか知らない人がたくさんいるわけだから、一覧表をチラシにして、各館の入り口や店舗に置いてもらえば、お客さんも便利だし、つながりができるでしょう。でも、みんな、いいねとは言うんですが、腰を上げない(笑)。来たい人だけ来ればいいというのでは、上野全体の活性化にはつながっていきませんよ。それと、つながりということでいえば、上野公園の樹木の間を通って広小路へ出ると、突然、樹木がなくなって雰囲気ががらりと変わってしまう。あれは何とかしたいですね。松坂屋さんの南館の先くらいまで、左右に木が植わっていれば、だいぶ雰囲気が変わる。逆に広小路から来た時も、段々、緑が深くなってくるという関連性があったほうがいいのではないかと、僕は思います。
佐藤:歩いているうちに、気づいたら公園の中に入っていく感じですね。
浦井長_とともに
浦井:今、何もないので、できれば常緑のものを植える。そういうことも商店街を含めて、みんなで話し合っていく必要があるでしょうね。
佐藤:全体を活性化し、元気にするためには、上野の街と山のみんなが一緒になって考えていく必要があるのですね。この度は、貴重なお話を本当にありがとうございました。
(おわり)