2015.02.09五條天神社のうけらの神事

五條天神社をみなさんはご存知ですか?
5月に上野御徒町界隈で定期的に開催される大きなお祭りはご存知ですよね、あちらは五條天神社のお祭りです。
五條天神社は第十二代景行天皇の御代(110年頃)日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の際に上野の忍が岡で医・薬祖神の二柱である大己貴命(おおなむぢのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)に御加護を頂いたことを感謝されて、この地に両神をお祀りしたのが御創祀と伝えられています。
社地は御創祀以来、天神山(今の上野公園内にある摺鉢山古墳)、瀬川屋敷(アメヤ横丁入口)の他、幾度か変遷を重ね昭和3年9月に現在の地(上野公園4-17)に御遷座となりました。
まさに御由緒より1900年を超える東都屈指の古社です。
1900年前というと日本は弥生時代後期、近くでは弥生二丁目遺跡なども発見されていますが土器や貝塚の時代からあると聞くと、その歴史に重みを感じてしまいます。

 

今回私がお伺いしお話いただいたのは節分について!
毎年2月3日には各地の神社で行われる豆まきの様子がTVのニュースなどで取り上げられますが、地元上野の神社の様子が知りたくて今回取材をお願いしました。
お話いただけたのは禰宜の瀬川さん!豊富な知識のもと丁寧に説明をしていただけました。
五條天神社では、2月の節分を「うけらの神事(うけら餅の神事、おけら焚き)」といっており、追儺の神事として古来より行ってきたそうです。
「うけら」と「おけら」は同意語で薬草(白朮と称する生薬)のこと、2月3日に授与する「うけら餅」を翌日の立春に「うけら」を焚きながら「餅」を焼いて食べるとその一年を無病健康で暮らせるといわれており、江戸時代に特にもてはやされたそうです。
神事は毎年2月3日午後3時より?節分祭、蟇目式、病鬼との問答、豆まきの順に行われ、神事の間、社殿では宮司さんが「うけら」を焚き続けます。

 

?@節分祭
社殿で年男・年女奉仕者が礼拝後、方相氏(ほうぞうし:四つの金目を持ち鬼を退治する役)が入場します。

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【写真は五條天神社様より借用 方相氏の様子】

 

?A蟇目式
宮司さんが神弓・神矢で氏子町内の鬼や病を祓います。

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【写真は五條天神社様より借用 蟇目式の様子】

 

?B病鬼との問答
氏子の年番総代が副斎主を務め、出現した病鬼・悪鬼と問答をします。鬼たちは過ちを悟り神前より退散します。

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【写真は五條天神社様より借用 病鬼との問答の様子】

 

?C豆まき
年男・年女奉仕者が神殿前で豆を撒きます。

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【写真は五條天神社様より借用 豆まきの様子】


五條天神社では、豆まきの際に「福は内」は唱えないそうです。理由は鬼が退散すれば福は自然と訪れることから「福は内」とは唱えないとのことでした。
今年は残念ながら終わってしまいましたが、2月3日は本当に多くの方が五條天神社にみえていました。
私もはじめての参加でしたが、豆まきでは「豆」や「おかし」、「おもちゃ」などを頂戴することができました。
お子様も喜ぶ楽しい神事なので、来年は是非みなさんもご参加ください。

 

 

 

 

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