2015.11.13Special Interview「東京メトロと上野」②

[第2回:地下鉄誕生秘話?その2]
●東京地下鉄株式会社 常務取締役 村尾 公一さん ●聞き手 佐藤 輝光(松坂屋上野店)

 

88年前、浅草?上野間でスタートした、地下鉄。現在の銀座線として浅草?渋谷間がつながるまでの隠れたエピソードについて、東京地下鉄株式会社常務取締役の村尾公一さんにお話を伺いました。

 

画像

 

■幻の新橋駅

 

村尾:ところで、幻の新橋駅というのがあるのはご存知ですか?
佐藤:え、そんな駅があるんですか?

 

画像

  上野駅ホーム(リニューアル後)

 

村尾:実は、新橋駅は2つあって、今は使われていない駅が残っているのです。これは渋谷から新橋までが東京高速鉄道株式会社(以下、「東京高速鉄道」)だったことのなごりです。当時は、浅草から上野を経て、新橋まで来た東京地下鉄道株式会社(以下、「東京地下鉄道」)の駅と、渋谷から新橋まで来た東京高速鉄道の駅、それぞれの駅がありました。双方がつながっていなかったため、乗り換えなければならなかったんですね。その後、東京地下鉄道と東京高速鉄道が合併することになって、現在のかたちになったわけ

 

画像

  上野駅ホーム(開業時)

 

です。でも、それぞれの線を比べると、いろいろ造りに違いがあって面白いんですよ。渋谷-新橋間は、最初は車両が2両編成で走っていたようで、そのうち3両になるのですが、駅のホームはすべて3両編成分の長さしか造られていませんでした。一方、浅草-新橋間は、最初から今と同じ6両編成分の長さのホームを造っていました。その違いは天井の造りを見るとよくわかって、浅草から新橋までのホーム上の天井は、すべて同じ形でできているのですが、新橋を越えて渋谷側にいくと、後から天井部分を継ぎ足しているのがわかります。虎ノ門などはっきりとわかりますよ。もちろん最近改良工事を行った駅は、その痕跡が見えなくなっていますが、所々わかります。東京高速鉄道の創業者は五島慶太さんですが、そういう細部を見ると、五島さんはロマンよりも経済性、コスト重視なのかなという印象があって、東京地下鉄道の創業者は早川徳次さんですが、ロマン派なのかなと思うんですよ(笑)。一方で、これは正確な情報ではありませんが、メトロの先輩に訊くと、浅草?新橋間のホームは6両分造ったけれども3両分しか使わないから、その空いているスペースに売店などを設置して販売を行っていたようです。 


佐藤:それ、今流行りの“駅ナカ”ですね。


■駅ナカの先駆け

 

画像

  地下鉄ストア(地上部)

 

村尾:先駆けですよ。それをすでに当時からやっていたんですね。日本で初めての駅チカとして地下鉄ストアが開業したのは、1930年(昭和5年)ですが、こちらは日用品や雑貨、食料品を扱ったチェーンストアの先駆けで、“どこよりも良い品を、どこよりも安く売る”をモットーにしていて、ずいぶん盛況だったようです。その後、地下から続いて地上に9階建ての上屋を増設して、それが今の本社ビルになっているんですが、こうした事例があるから、デパート直結の駅なども積極的に受け入れることができたのだと思います。開業当時、新橋から渋谷寄りで、渋谷以外、そういう商業施設との連携を手がけている駅はないですからね。その意味では、新橋駅を起点にして、上野・浅草方面と渋谷方面では、経営者の違いが地下鉄の特徴や駅の造りに表れていて、そこが面白いと思います。

 

画像

  地下鉄ストア

 

佐藤:今、東京メトロさんと銀座線の改良工事の関係で店舗改装も担当しているので、窓口としてお話をさせていただいていますが、お客様にわかりやすいサービスをするという視点が徹底していて、いろいろな面ですごく工夫されています。僕ら百貨店よりもよほど親切だなと思いました(笑)。それは、こうした歴史的な背景があるからで、ホスピタリティやサービスということに気を配られているんでしょうね。現場の方とお話しさせていただいて、それは実感しました。  (つづく) 

 

※写真は全て、東京地下鉄株式会社よりご提供いただきました。無断転載を禁止いたします。

 

 

 

 

 

 

  • X
  • facebook