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こんにちは。岩倉高校放送部の藤澤です。今回は、1627年に創建された国指定の重要文化財である上野東照宮の禰宜でいらっしゃる嵯峨様にお話を伺うことができました。
高校生の私たちから見た「上野東照宮」をレポートします。
【写真 上野東照宮社殿(上野東照宮より借用)】
<質問 藤澤>
上野東照宮の歴史を教えてください。
【写真 上野東照宮インタビューの様子】
<嵯峨様>
1627年に徳川家康の家臣である藤堂高虎と天海僧正が中心になって、寛永寺の一部として創建されました。今の建物は1651年家光公の代に建て替えられたものです。上野東照宮は火事に見舞われることもなく、震災で倒れることもなく、東京大空襲の際にも不発弾が落ち、奇跡的に江戸時代のまま社殿が残っている貴重な文化財です。
<質問 青木>
日光東照宮とのつながりはどのようなものですか。
<嵯峨様>
東照宮連合会があり、年に1回会合を行っています。明治以前は、日光東照宮の宮司様が上野東照宮の宮司を兼務していたんです。
<質問 阿部>
主にどのような方が訪れていらっしゃいますか。
【写真 お話では教科書ででてきた人物が次々登場】
<嵯峨様>
歴史愛好家のほかに最近は御朱印ガールがとても多く参拝にみえます。
また、アジアの方を中心に欧米の方まで多くの外国人観光客の皆さんも参拝に訪れます。
<質問 青木>
伺う時に上野動物園内に五重の塔がありましたが、あちらと上野東照宮とは関係はあるのでしょうか?
<嵯峨様>
五重の塔は上野東照宮の建造物でしたが、塔の中には仏様がお祀りされており、明治時代の神仏分離令の際に問題となりました。
そこで当時の宮司が、五重の塔は寛永寺の建物であると政府に話をして、問題解決をはかったと聞いています。
その結果、建物は残すことができましたが、上野東照宮の建造物ではなくなってしまいました。
<質問 藤澤>
この上野の地は、日光東照宮にとってどのような意味合いがあります。
【写真 嵯峨様は丁寧に説明してくださいました】
<嵯峨様>
京都に信仰の地があるように、東京にもそういった場所を作りたいということがありました。その中で、藤堂高虎の屋敷地の一部を譲っていただいて、寛永寺を作った経緯もあるのがこの地ですから、大変意味のある場所だと思います。
<質問 青木>
嵯峨様からみた上野の魅力を教えてください。
<嵯峨様>
上野には色々な施設があり、日本の方はもちろん、海外の方も色々な国からいらっしゃいます。上野という限られた場所なのに、様々な所に出かけたような気持になる不思議な場所だと思います。そこはとても面白い部分で、私は大好きです。
【写真 上野東照宮をバックに記念撮影】
《まとめ》
フランスの有名観光ガイドで2つ星を獲得しているにもかかわらず、高校生には意外と知られていない「上野東照宮」。約200ある燈籠や江戸時代から引き継がれた社殿をみるだけでも、歴史的価値を感じることができました。
今回の取材を通じて、またひとつ上野の歴史を知ることができました。今後も、上野の歴史というテーマで、また新しい発見をしていきたいと思います。
《感想》
■藤澤
私たちが授業で習っている歴史が、こんな近くで繋がっていたことにとても驚きました。私自身、日本史が好きでこのような場所に取材に行けることはとても楽しみにしていました。なかなか聞くことのできない貴重な話を伺うことができ、ありがとうございました。
■青木
初めての取材参加でした。昨年、美術の授業の写生で何気なく風景の一部として見ていたことが、今となっては後悔です。色々な機会を通じて、勉強をしていきたいと思いました。
■阿部
あっという間の取材時間でした。毎日通っている上野に、このような場所があることを初めて知りました。もっともっと上野を探検して、色々なことを知りたいと感じました。