2017.07.11上野発祥シリーズ(その1) 文芸川柳

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川柳の原点 誹風柳多留発祥の地 記念碑

 

編集員の佐藤です。
こちらの記念碑ご存知ですか?
京成上野駅の中央通り側の入口脇にあります。
何の記念碑かを確認すると、川柳の原点 誹風柳多留発祥の地の記念碑だということがわかりましたが、そもそも『誹風柳多留』とは?調べてみました。
『誹風柳多留』は、江戸時代中期から幕末にかけて、ほぼ毎年刊行されていた川柳の句集といわれています。

 

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川柳の原点 誹風柳多留発祥の地 記念碑

 

川柳の名称は、宝暦7年(1757年)に浅草新堀端にはじまりましたが、『誹風柳多留』は、明和2年(1765年)7月に呉陵軒可有という人が、初代川柳評の前句付万句合の勝句(入選句)から十七音の付句のみで鑑賞でき、深い笑いのある句を選び出し刊行したものだそうです。
このことにより川柳は、<十七音独立文芸>として確立され、後に全国への広がったといわれています。
記念碑のある付近には、むかし『誹風柳多留』の版元・星運堂(花谷久次郎)があり、俳諧書などを刊行するかたわら、三代にわたり『誹風柳多留』を通じて<川柳風>の隆盛に貢献、川柳を「江戸文芸」の一つにまで育てたそうです。
記念碑には、『誹風柳多留』の編者・呉陵軒可有の「羽根のあるいいわけほどのあひる飛ぶ」の句がモチーフと共に飾られています。
近くにお越しの際は、是非みてください。
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