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2015.08.19SPECIAL INTERVIEW「日本の玄関口・JR上野駅今昔物語」④

[第4回:チーム上野で、おもてなし]
●JR上野駅駅長 太田 稔さん ●聞き手 佐藤 輝光(松坂屋上野店)

 

上野の街の入り口として、そのイメージとも密接につながっている、JR上野駅。5000人にもおよぶ大勢の関係者が一つのチームとして支え合っている、上野駅の有り様について、JR上野駅駅長の太田稔さんにお話を伺いました。

 

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夜の上野駅・外壁の意匠を際立たせる美しい照明


■夜も絵になる駅へ

 

佐藤:最近、駅舎がきれいになったような気がしますが。

 

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ライトアップ点灯式(2015年4月30日)

 

太田 :昨年の秋から駅舎を洗浄して塗り直し、同時にライトアップ工事も行い、4月10日に完成、4月30日にはライトアップの点灯式を行いました。駅舎の屋根の上にある駅名標は、昭和7年(1932年)の駅舎完成時にはなかったんですね。設置されたのは、昭和46年(1971年)。40年以上前につくった駅名標をきれいにし、2メートルくらい後ろに下げて、手前にライトを仕込んで、下から照らすようにしました。駅舎ができて80年ぶり、駅名標ができて44年ぶりにライトアップができて、夜も絵になる駅舎となりました。上野東京ラインの開業と時を同じくして完成したので、上野駅の新しい1ページになったと思います。

 

佐藤:気づかないうちにきれいになっていたので、お話を伺って、そういうことだったかと得心しました。

 


■チーム上野

 

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佐藤:今、JR上野駅には、どれくらいの方が働いていらっしゃるのですか? 

 

太田:上野駅のJR社員というのは350名程ですが、上野駅構内で働いていらっしゃる方は5000人いるんです。私どもとパートナーとして一緒に仕事をしていただいている人、お店や清掃、警備の皆さんなどを含めてですが、そのすべての方がファミリーであり、私は“チーム上野”と呼んでいます。この“チーム上野”の要として我々JRの350名がいるので、社員には、常にそういう心づもりで業務に取り組むよう話しています。例えば、どこかのお店の前で水が漏れていて、お客様が滑って転んでしまったとしたら、その方は、お店の前で転んだ、ではなく、上野駅で転んだということになります。すべては上野駅で起きたことなんですね。旅で訪れる方が最初に降り立つ場所が上野駅で、第一印象はそこで決まります。ここが上野の街のスタートでもあるわけで、私たちのおもてなし次第で上野の街の印象、イメージが決まってしまうのです。

 

佐藤:そうすると、サービスが重要になってくるわけですね。

 

太田:“おもてなしステーション上野”というスローガンを掲げて、上野駅で働く5000人でそれを実現していこうと、毎月会議や打合せを行っています。もちろんその要となるのは、JR社員350名であり、さらに上野駅全体の5000人が笑顔でおもてなしをすることで、上野駅はもちろん、上野の街全体のイメージ向上につなげていく。そのためにも私たちは、安全とサービスをしっかり提供していこうと気持ちを引き締めて臨んでいます。

 

佐藤:実は私の父親は鉄道員でして。もう引退しましたが、古いタイプなので、安全と時間厳守、この2つしかありませんでした。でも今や鉄道も百貨店同様、サービスなんですね。

 

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  構内で開かれる産直市

 

太田:140年の歴史を持つ、世界に冠たる鉄道の信頼というのは、頑なに守り通して来た安全がベースにあり、その上に日本独自の鉄道文化が築かれてきました。それは基本で絶対のものですが、そこに加えてサービスが必要で、これからは新しいものを採り入れて、どんどん変えていかなければなりません。安全・安定とサービスのバランスを取っていかないと、選ばれる鉄道にはなれません。かといって、安易にサービスにばかり気が向いてしまうと、安全面が疎かになり、技術継承や安全意識というものが伝わらない。そこは頑固に守っていかなければなりません。鉄道というと、利用される方にとっては、駅が入口になりますが、それ以外にも車両、設備、運転手、保守に携わる者、電気関係、踏切や信号など、幅広い分野の数多くの人間が関わりながら支えているのです。

 

(つづく)

 

 

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