2015.03.04Special Interview「上野の魅力と未来像」②

[第2回:上野にパンダがやって来た]
●上野観光連盟会長 二木 忠男さん
●上野観光連盟事務総長 茅野 雅弘さん
●聞き手 佐藤 輝光(松坂屋上野店)

 

2011年2月21日、上野動物園にジャイアントパンダのリーリーとシンシンが来園しました。上野を活気づけるためにパンダを再び迎えようと奔走されたのが、上野観光連盟会長の二木忠男さんでした。さまざまなご苦労のあったパンダ来日にまつわるエピソードを伺いました。
※上野観光連盟公式サイトは、こちら
※記事中の写真、パンダくんグッズのお問合せは、上野観光連盟 03(3833)0030まで

 

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※写真左は雄のリーリー(カカ)、右は雌のシンシン(真真)

 

■“情熱で呼び寄せた、パンダ

 

佐藤:会長として、ご多忙な日々を精力的にお過ごしですが。 

 

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左:二木会長 右:茅野事務総長

 

二木:人間、100歳まで生きられるとは限らないですからね。会長としてできることをやっておく。それが後世に残るものであれば、意味があるし、嬉しいですよ。私の場合「パンダを再び呼んだこと」と「上野東京ライン」ですね。この2つが実現できたのが大きかったですね。

 

茅野:パンダは、会長の情熱ですよ。「ご神体じゃあるまいし、見たければ和歌山にいけばいい」といった石原慎太郎都知事ですからね。最初にパンダがほしいと嘆願した時は、けんもほろろに一蹴されてしまって。結果的に子供たちの声を届けることで、何とか実現できましたが。

 

二木:茅野さんと一緒にパンダバッジを持って幼稚園や小学校をまわりましたね。ある小学校の先生が子供たちに話して、寄せ書きをしてくれた。それを石原都知事に渡したのが、結果的に効きました。記者会見の時、「どこから圧力がかかったんですか?」という質問があって、それに応えて石原都知事の発した第一声が「幼稚園とか…」と(笑)。そんなエピソードもあって、まあ、いろいろ大変でしたが、自分が会長の時代にパンダを呼ぶことができたのはよかった。これは余談ですが、ちょうど私の息子の結婚式と重なってしまい、ドタバタしたのを覚えています。2月19日が結婚式で、パンダの来園が2月21日。結婚式を2月19日か3月26日のどちらにするか、会場の帝国ホテルから提示されたのですが、早い方がいいだろうと前倒ししたんです。茅野さんには、“パンダがその頃に来ますよ”といわれたのですが、何となく早い方がいい気がして。これも運だったと思います。その後、3.11がありましたからね。もし3月26日にしていたら、結婚式はむずかしかったでしょう。パンダだって日程が遅れていれば、どうなったかわかりません。そういう時のちょっとした運というのはあると思います。そんなこともあって、パンダが来た2011年2月21日というのは、私には忘れられない日なのです。


■2世誕生への期待

 

佐藤:そういえば、夜中に門の前に大勢の人が集まっている映像がニュースで流れていましたね。

 

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観光連盟オリジナル パンダくんグッズ

 

二木:夜の11時40分にトラックが到着しました。本当に中にパンダが入っているのか、みんな半信半疑でね(笑)。四川省からパンダを乗せて北京に向かうトラックの車体には、大きなパンダの画が描かれていて、成田に到着した飛行機も、全日空のパンダジェットでした。そこから2時間くらいかけて上野公園に着いたわけですが、寒い日でね。記憶に残る日ですよ。雄が「比力(ビーリー)」、雌は「仙女(シィエンニュ)」。餌をあげる時に呼ぶのに、近い名前ということで、ビーリーが「リーリー」、シィエンニュは「シンシン」という名前になりました。3.11があって上野の街が沈んでいた時は、パンダに随分元気をもらいました。日本にとって、あの時期にパンダがいたというのは大きかったと思います。今、ジャイアントパンダ保護サポート基金の委員もやっているのですが、この季節、2世誕生に期待が膨らみます。ぜひまた、松坂屋さんに、アドバルーンを上げていただきたいですからね(笑)。

<つづく>

 

 

 

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