その五十 関東大震災被災者に慰問袋10万個を配布!
#松坂屋ヒストリア小話 その五十
1923年(大正12)発生した関東大震災の被災者に、松坂屋は慰問袋10万個を配布した。
1923年(大正12)9月1日午前11時58分、関東大震災が発生。地震後の火災により東京市の半分は焼け野原と化し、十数万人の死傷者を出す大惨事となった。松坂屋上野店は倒壊こそ免れたものの、翌9月2日夜、地震後に発生した火災により焼失した。上野店の被害総額は店舗、什器、商品など合わせて約248万円であった。この金額は前年の松坂屋全店の売上高約2,146万円の1割強に相当した。上野店では早速、付近の住民数百名を上野の池の端舎宅へ収容するなどの救済活動を展開した。さらには巡回救護班を組織して、嘱託医による無料の治療を行ったり、被災者のために従業員が箱車で麦湯の配布も行った。一方、名古屋店、大阪店では仕入網を動員し、救援物資、生活必需品を買い集めた。それらを満載した船は9月6日に名古屋港を出航し、12日に芝浦に到着した。そして15日から罹災者に対して、パン、缶詰、食器、石けんなどの入った10万個もの慰問袋の配布を開始した。このような被災地での松坂屋の活動は、それまでの「デパートは上流階級のもの」というイメージを一掃し、一般大衆と共にあるという親近感を生み出した。
罹災者に麦湯を配る従業員
慰問袋を調製する従業員
関東大震災後の上野店