その七十六 CBC初の子供向けTV番組「健太君の探偵」のスポンサーは松坂屋だった!
#松坂屋ヒストリア小話その七十六(2022/3/2配信)
昭和30年代に人気を博したCBCテレビ初の子供向け番組「健太君の探偵」のスポンサーは松坂屋だった!
①名古屋・新栄のCBC本社ビル(CBC会館)。昭和31年(1956)完成、テレビ放送を開始した。
経済白書が「もはや戦後ではない」と戦後復興完了を宣言した昭和31年(1956)12月にテレビ放送を開始したCBCは、翌年の昭和32年(1957)11月に初の子供向け推理探偵ドラマ「健太君の探偵」をスタートした。「健太君の探偵」は、毎週金曜日午後6時15分から30分間放送され、昭和37年(1962)9月の番組終了まで約5年間続いた人気番組であったが、この番組のスポンサーが松坂屋であった。
② CBCの人気長寿番組だった「健太君の探偵」(昭和35年12月23日放送「サンタクロースの天罰」より)
③「健太君の探偵」のスポンサーだった松坂屋名古屋店(昭和35年)
原案は双葉十三郎、脚本は地元のテレビ構成作家の谿渓太郎(たにけいたろう)、プロデューサーはCBCの大脇明で、少年探偵・牧野健太君がシャーロックホームズ的な名探偵ぶりを発揮して事件を解決し、友達と大活躍して悪漢を警察に捕まえさせる物語である。
④松坂屋名古屋店売場でのロケ風景(昭和36年12月22日放送「消えた宝石」より)
このドラマ制作では、現在では難しい地元警察の協力をも取り付けた大掛かりな撮影が話題となった。名古屋市内のロケではしばしば愛知県警の本物のパトカーが出動し、あるときはロケ地点の桜通りを赤色灯を回し、サイレンを鳴らして猛スピードで突っ走るなど追跡劇の撮影に一役かっている。
⑤愛知県警のパトカーも撮影に協力した(昭和37年2月2日放送「ひき逃げするな!」より)
出演者も地元の劇団の俳優を起用し、事件が起こる場所も名古屋周辺の実際の地名を使うなど、地域密着のローカルドラマという点が郷土愛の強い名古屋人に大好評を博した番組であった。そしてスポンサーであった松坂屋も長期にわたり番組制作を積極的に支援した。
⑥名古屋店B1F食品売場でのロケ風景(昭和35年12月23日放送「サンタクロースの天罰」より)
⑦X’mas商戦で賑わう店内のロケ風景(昭和36年12月22日放送「消えた宝石」より)
ドラマの舞台には松坂屋名古屋店の売場が頻繁に登場したが、CBCは松坂屋の熱意に応え、昭和33年(1958)12月19日に放送された第30話「影の男」後編では百貨店とスタジオの二元中継ドラマ制作を敢行している。テレビドラマ草創期の当時、屋外の撮影シーンはフィルムによるロケーション撮影が基本であったが、この回は局外に中継車を出し30分間全篇現場とスタジオから生放送で行うというものであった。
⑧名古屋店1階階段付近でのロケ風景(昭和35年12月23日放送「サンタクロースの天罰」より)
CBCは名古屋店1階の売場と2階への階段、中2階の喫茶ルームに初めて3台のテレビカメラを持ち込み配置した。松坂屋の現場生中継からドラマは始まり、歳末客で賑わう雑踏の中を、生本番で健太君らが“影の男”怪しい外国人を追って上に下に動き廻る。その後ドラマの展開はやがて「部長刑事の部屋」のシーンへ移るため、二元中継のカメラは即、松坂屋のロケ現場から新栄にあるCBC第7スタジオ「部長刑事の部屋」へと切り替わった。秒針が容赦なく動く中、健太君らと“影の男”は次の「部長刑事の部屋」での出番のため急いで松坂屋からCBCへ戻らねばならず、役者を乗せたCBCの車は愛知県警のパトカーに先導されて、極めて短時間に局まで無事到着。役者はスタジオに駆け込み臨場感たっぷりのドラマが完成したのである。
⑨CBC第7スタジオの「部長刑事の部屋」でのワンシーン(昭和35年)
そして、この回の番組中の松坂屋CM放送に際しては本篇に劣らぬ工夫が試みられた。松坂屋は本篇ドラマに連動し、テレビカメラを使って売場から生中継でネクタイや草履などの店頭商品を紹介するメッセージを番組内で電波に乗せたのである。当時ニュースカメラが店内を写すことはあっても、大きなテレビカメラが入ることは珍しく、カメラの周囲は歳末の買物客で黒山の人だかりとなった。翌日の朝日新聞には「新機軸のこのCMは全国でも初めてだろう」との担当プロデューサーのコメントが紹介された。
⑩テレビカメラで売場の商品を紹介する生CMの様子(昭和33年12月20日付 朝日新聞)
※画像(③⑩を除く)は中部日本放送提供