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2016.08.04Special Interview「上野中央通り商店会と上野の街」④

[第4回:商店会活動と上野の想い出]


●上野中央通り商店会 会長 中村 明彦さん ●聞き手 佐藤 輝光(松坂屋上野店)

 

長年、商店会活動に携わられてきた上野中央通り商店会会長の中村明彦さんに、これまでの活動の中で印象に残っている想い出深いエピソードなどについて伺いました。

 

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?■文化ゾーンとの連携

 

佐藤:商店街に設置されている街路灯のペナントというのは、昔からやられているのですか?
中村:あれは西洋美術館、科学博物館、東京文化会館の特別展や公演などの告知ペナントで、上野の山の文化施設の依頼と協力で、費用はすべて先方持ちで行っています。ペナントが掲載できる街路灯は商店街に40数本あって、ペナントの制作と設置費用まで含めて、毎回、百万単位のお金がかかります。文化施設との協力関係を模索する中で、今のような協力体制ができましたが、商店街が公共施設の宣伝をする例は、他の地域にはなかなかないと思います。 

 

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最近のペナントから

 

銀座通りでも国家行事の時に日の丸を掲げる例はありますが、文化施設との連携を図れるのは、上野の商店会くらいだと自負しています。パンダが来た時も、パンダ柄のペナントをたくさん貼りましたし、若冲展の時も貼りました。先方が企画立案して上野の街並みにぴったり合うものをつくってくれるので、こちらとしては楽ですし、とてもありがたい。でも、ペナントでお客様が来るわけではなくて、あくまでも付加的なツールです。文化施設にいらしたお客様に上野の街にも足を運んでいただく、あるいは、上野の駅を降りて街を歩いているお客様がペナントを見て展示や催しに気づいて足を運んでいただく、そういう双方向の関わり・連携ができれば、お客様にも喜んでもらえるのではないのかと考え、お互い協力し合っているのです。ですから、商店会で作成しているマップも、博物館に置かせてもらって、お客様が自由に手に取れるようになっています。そうすれば、地図を見てお店に行ってみようということになるし、相乗効果になります。やはり上野は、共存共栄なんです。

 


■上野と北京の架け橋として

 

佐藤:商店会活動で思い出に残っていることはありますか? 

 

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上野四季繁栄図

 

中村:青年部の副部長の時のことでしょうか。30年ほど前ですが、1985(昭和60)年に、大宮止まりだった東北新幹線が上野駅まで延長されました。その時に、上野中央通り商店会で駅構内の新幹線乗り場に行く途中の壁面を飾る絵画を贈呈しようということになりました。それで、現代中国を代表する書画家として知られる天津大学の王学仲教授(中国書法家協会・中国美術家協会会員)に頼んで描いていただいたものを中国の焼物の窯元・景徳鎮で巨大な陶板壁画として製作してもらったのです。

 

それで、北京駅と上野駅が姉妹駅だったことから、北京駅の駅長さんを招いてセレモニーを開催して、壁画を寄贈しようということになりました。「上野四季繁栄図」という壁画は、今も新幹線のホームに下るエスカレーターの手前右手の壁面に飾られています。この時、私がちょうど青年部の副部長で、青年部10数名と一緒に上野駅との折衝や中国関係者の接待などで、10日間ほど、自分の仕事ほったらかしにして忙しく動き回っていました。若手はみんな、上野のためにやるんだと意気込んでいて、その熱意たるやすごく、充実感・満足感がありました。バブルの時代の空気感が残っている頃で、みんな、くたびれたと言いながら夜中まで呑んでいましたよ(笑)。あの頃は、そういう活力・活気がありましたね。(つづく)

 

 

 

[第1回:上野中央通り商店会の歩み]
[第2回:行幸道路としての上野中央通り]
[第3回:上野の街づくり]
[第5回:上野をつなぐ、新しい試み]

 

 


 

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