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2015.07.31SPECIAL INTERVIEW「日本の玄関口・JR上野駅今昔物語」②

[第2回:北の玄関口として]
●JR上野駅駅長 太田 稔さん ●聞き手 佐藤 輝光(松坂屋上野店)

 

昭和30年代、東日本エリアからの集団就職を受け入れる“北の玄関口”となった、JR上野駅。故郷につながる“心の駅”として人々のさまざまな想いと共に歩み、歌にも謡われる駅となった上野駅について、JR上野駅駅長の太田稔さんにお話を伺いました。

 

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にこやかに語る、太田駅長


■北の玄関口、そして“心の駅”として

 

佐藤:日本人の「北の玄関」は、いつの時代も、今も「上野駅」ですね。

 

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15番線地上ホームの啄木の歌碑

 

太田 :上野駅にとっての転機は、昭和30年代ですね。1963年(昭和38年)3月19日に、集団就職列車が初めて宮城から到着しました。それから東北を中心とした東日本エリアからの集団就職列車が続々と上野に到着し、上京した人たちが、この街で暮らし、お盆とお正月になると帰省していきました。上野駅は、夜行列車で東北へ帰省される方の起点駅となり、大変な帰省ラッシュでにぎわいました。皆さん、東京で働いて、1年の限られた数日だけ、故郷に帰られる。昔は、列車を待つのに駅構内だけではスペースが足りず、テントをはって、そこで待っていただくこともあったそうです。なかには、さまざまな事情からどうしても帰省できず、上野駅までいらして、帰省の雰囲気だけ味わって戻られるというお客様もいらしたようですね。故郷に帰ることができなくて残念だけど、上野駅まで来て帰省した気分になり、また頑張ろうという思いで職場に戻っていく方の話を先輩方から聞いたことがあります。石川啄木の短歌にある「ふるさとの訛りなつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく」ですね。やはり上野駅が、“心の駅”といわれるのは、そういうことがあるからでしょう。「ああ上野駅」の歌詞ではありませんが、“上野は、俺の心の駅だ。くじけちゃならない。人生が、あの日、ここから始まった”ということなのでしょう。

 

佐藤:故郷とつながっている駅というのは、他の首都圏のターミナル駅でもあまりないことですね。

 

太田:東京駅もそういうふうにはいわれないですね。新宿も大きなターミナル駅ですが、少し違います。そういう意味でいうと、上野駅は独特です。街の皆さんが、思いを寄せる駅であり、だからこそ“心の駅”といわれるんでしょう。単なる“駅”という機能だけではない、もっと情緒的なものと深くつながっていると思います。


■歌になる駅

 

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寝台特急「あけぼの」

 

太田:中京関西方面は1964年(昭和39年)に新幹線が開通しましたが、東北上越はそれから約20年後の1982年(昭和57年)です。それでもまだ大宮までで、東日本エリアの新幹線が完全に開通するのは、1985年(昭和60年)までかかりました。その長い年月の間、在来線しかなく、仙台も今は新幹線で1時間ちょっとですが、それまでは特急でも、4時間かかかったわけです。岩手の盛岡ともなれば、もっと時間がかかる。昨年3月に寝台特急「あけぼの」が定期運行を終えましたが、昔は出世列車といい、東京で成功して出世したら、夜行寝台列車で帰省するというのが一つの憧れだった時代です。在来線で長時間をかけて故郷に帰らなければならない時代にあって、上野はその起点となる駅として役割を担ってきたわけです。石川さゆりさんが歌った「津軽海峡冬景色」の中に“上野発の夜行列車?”という歌詞がありますが、上野駅は青函連絡船までつながっていて、その先は北海道まで続いているんですね。歌詞になり、歌になり、歌い継がれていく。こういうふうに歌になる駅というのは、なかなかないと思います。それはありがたいことであり、上野駅の一つの特徴でもあると思います。
(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

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