2024.01.29

その三十二 「お帳綴じ」は松坂屋創業家の伝統行事!

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その三十二 「お帳綴じ」は松坂屋創業家の伝統行事!

#松坂屋ヒストリア小話 その三十二

 

1611年(慶長16)に織田信長の家臣であった伊藤蘭丸祐道(すけみち)が名古屋城の城下町に呉服小間物問屋を開業したところから松坂屋の歴史が始まります。祐道の次男祐基(すけもと、1609-1673)は2代目として「次郎左衛門」を名乗り家業を発展させていきますが、以来松坂屋の創業家である伊藤家では代々当主が次郎左衛門を襲名し事業を拡大していきました。そして1866年(慶応2)第13代の次郎左衛門祐良(すけよし、1821-1891)は、49歳で家督を息子に譲り、晩年を専ら写経で過ごした信仰に厚い人でした。その写経の数は生涯2,000巻に及んだといわれます。祐良は自ら筆を執り、『諸悪莫作 衆善奉行(しょあくまくさ しゅぜんぶぎょう、「悪いことをしてはならない、善い行いをしなさい」という意味)』ならびに『受諸飲食 当如服薬 於好於悪 勿生増減(じゅしょおんじき とうにょふくやく おこうおあく もっしょうぞうげん、「飲食は身を養う尊いものであるから、薬を飲むのと同じである。好き嫌いで増減してはならない」という意味)』という仏教の教えをしたため、永く一家一門の基本精神とすることを定めました。これに江戸時代はたびたび大火に罹災していたので、『火用心』を加えたといわれます。この祐良のときから伊藤家の伝統的な新春恒例行事である「お帳綴じ」が始まったといわれています。商家では毎年1月11日の「鏡開き」の日には「蔵開き」という蔵を開いて神事を行い、商売繁盛を願って供えた鏡餅を食べるという風習がありましたが、併せてその年に使う新しい大福帳を作る「帳綴じ」も行っていました。そして大福帳を作る際、余った墨で家訓などを揮毫する書初めも行っていましたが、大福帳のなくなった現在では、当主の浄書が「お帳綴じ」の主な行事として残りました。毎年1月11日の寒さ厳しい折、名古屋市千種区の揚輝荘では、当主が赤い毛氈の上に正座し、その年の恵方(その年の干支に基づいて、よいと定められた方角)に向かって上記の3つの家訓を、時間をかけて何十枚も書き上げていくのです。なお、浄書した家訓は一家一門に配布されています。

 

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13代祐良(明治24年)

 

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昭和39年の「お帳綴じ」

 

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平成8年の「お帳綴じ」

ショップ情報

ショップ名

松坂屋史料室(#松坂屋ヒストリア小話)

フロア
南館 7F
TEL
052-251-1111(代表)
営業時間
松坂屋名古屋店の営業時間に準じます
カテゴリー
その他

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