その六十六 戦時体制下、松坂屋は陸軍と海軍に戦闘機を献納した
#松坂屋ヒストリア小話 その六十六
昭和13年の総動員体制下、松坂屋は戦闘機「松坂屋号」を陸軍と海軍へ計2機献納した。
1931年(昭和6)の満州事変勃発後は、戦争が日常生活と一体のものとなっていき、人々は工場、地域、学校単位で国威発揚・戦意高揚の実践を強いられることとなった。1938年(昭和13)国家総動員法が公布されるなか、松坂屋は同年4月8日陸軍に九七式戦闘機を「愛国第215号松坂屋号」として献納し、6月16日には海軍に九六式艦上戦闘機を「報国第159号松坂屋号」として献納している。
「松坂屋号」献納命名式(1938年)
飛行機献納運動ウィンドウ(名古屋店・昭和15年)
6月16日当日、羽田東京飛行場において華々しく挙行された松坂屋号の命名式には、上野店、銀座店の代表店員約1,500名が参列し、新作歌「我等が報国機」を全員で合唱するなか松坂屋号は爆音も高らかに滑らかに離陸し、全店員が見守る中、宙返り、背面飛行、急降下などの実戦さながらの妙技を披露したということである。そして翌年の1939年(昭和14)5月、松坂屋は「配給報国」「国策順応」の営業方針を掲げ、敗戦に至る苦難の道のりを歩み始めるのである。
上野・銀座両営男店員全員鎌倉鶴岡八幡宮に国威宣揚・武運長久祈願(昭和13年11月8日)
松坂屋 大阪店の広告(昭和12年10月1日)