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2020.04.02

なぜタンポンは “タブー視” されてきたのか

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なぜタンポンは “タブー視” されてきたのか

 

タンポン使用率が低い日本

 

日本で「生理用品」と言えば、タンポンよりもナプキンを思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。データにもよりますが、アメリカでは30代女性の約8割がタンポンを使用しているのに対し、日本の30代女性の使用率は2割程度。20代では、もっと少ない割合です。これは一重に、ナプキンの性能がよいため、タンポンに頼らずとも快適に過ごせるためです。さらに、明治時代以来、タンポンに対するタブー視がとても強かったことも、使用率の低さに影響しています。

 

古来、女性たちは身近な素材をナプキンのように当てたり、タンポンのように詰めたりしながら、経血を処置してきました。日本では、近世に木綿が栽培されるようになる以前は、麻や葛などの繊維を使っていたと考えられます。木綿が普及すると、漉き返した紙を当てたり詰めたりし、その上から木綿製の丁字帯で押さえるという経血処置法が主流となりました。丁字帯で押さえても、“当てもの”は落ちたりずれたりするので、“詰めもの”に頼る女性の方が多かったと思われます。

 

ところが、明治時代になると、西洋医学を学んだ医師たちが“詰めもの”ではなく“当てもの”を使用するようにと“啓蒙”を始めます。

 

 

医師が唱えた「膣挿入弊害説」

 

明治時代には、「富国強兵」のスローガンのもと、医師たちが「生殖」に介入するようになります。その一環として、おもに上流階級の女性たち――当時、「優秀な母体」の候補と見なされていたのは“上流階級”の女性たちでした。“階級”に関係なく「産めよ増やせよ」と言われるようになるのは、昭和の戦時に入ってからのことです――の月経を管理しようとしました。

 

ある医師は、“上流階級”の女性たちに向けた講演会で、「下等社会」では「直に膣内に紙の球を送入(ママ)する」女性もいるが、それは有害で、「これがため治しがたき子宮病を発する」(『婦人衛生雑誌』1号、1888年)と説き、“詰めもの”に反対しています。

 

明治の終わり頃になると、経血処置に脱脂綿を使用する女性が増えてきます。脱脂綿は清潔なので詰めてもよいという医師もいれば、「しばらく経って(脱脂綿を)出すことができないで、否でも応でも医者に掛からなければ出すことが出来ぬというような」ことになる」(『婦人衛生雑誌』137号、1901年)と説く医師もいました。

脱脂綿さえ詰めてはいけないと説くこの医師は、お勧めの経血処置用品として、「西洋婦人の用ゆる所の月経帯という物」を紹介しています。実際、この頃から「月経帯」が発売されるようになります。

 

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そのうちの1つ、「婦人は股間の美を如何に保つか」というキャッチコピーで発売された「ゴム製猿股式月経帯」の広告文には、「かの婦人の最も恐るべき子宮病、生殖器病等発病の原因は月経時の不摂生にあり。本品の特色はこれを未然に防ぐとともに、春期発動期の処女方にありては恐るべき自涜を防ぐ」とあります。つまり“詰めもの”が「自涜」を招くと考えられていたのです。

 

当時としては珍しかった産婦人科病院を設立し、その後、大阪府医師会の初代会長となった緒方正清も、「女子は月経という生殖器に充血を起こすべき時があるので、この前後には、生殖器の亢奮性が高まり、手淫を行うものであるから、日本風の月経時のたんぽん、日本人のいわゆるしのび綿、或いはしのび紙なるもの」(『婦人家庭衛生学』1916年)は「注意すべきものである」と説いています。

 

この本が出版される数年前から、経血処置を目的とした脱脂綿球(「清潔球」「月経球」「ニシタンポン」など)が発売されるようになったので、緒方はこうした商品を念頭に、「たんぽん」に反対したのでしょう。「しのび綿」「しのび紙」は従来の手製の“詰めもの”を指しています。

 

 

既製品タンポンの盛衰

 

単なる脱脂綿球ではなく、現在の形に近い既製品のタンポンが発売されたのは、日中戦争開戦の翌年にあたる1938(昭和13)年のことです。合資会社桜ヶ丘研究所(現エーザイ株式会社)が開発した「さんぽん」という商品で、圧縮した脱脂綿でできていました。しかし、戦争の影響で原料不足となり、発売早々、製造中止となります。

また、相変わらず医師たちはタンポンに批判的で、東京女子医科大学創設者の吉岡弥生は「女の神聖なところに男以外の物を入れるとは何事ぞ」と猛反対しました。

 

1941年に太平洋戦争が始まると、脱脂綿は配給制となってしまい、既製品タンポンどころか、従来の経血処置もできなくなり、女性たちは頭を悩ませます。食料難による栄養不足や、空襲のストレスなどで月経が止ってしまう女性も少なくなかったのですが――「戦時性無月経」という言葉もあります――、経血を処置しなくて済むのでむしろホッとしたという話も残っています。

 

脱脂綿や布、紙が手に入らない状況で、動きの激しい防空訓練や竹槍訓練に駆りだされた女性たちは、否応なく“当てもの”から“詰めもの”へと移行しました。戦後も慣れ親しんだ“詰めもの”を使い続ける女性が多く、この世代が戦後のタンポン市場を支えたと言えます。

 

戦後いち早くタンポンを製造販売したのは、「さんぽん」を発売した桜ヶ丘研究所の後身、エーザイ株式会社です。エーザイは1964年の東京オリンピック開催に合わせて、スティック式タンポン――スティックを使ってタンポンを挿入します――を発売し、好評を得ました。1968年にはアメリカの「タンパックスタンポン」の輸入販売も始まります。

ほかにも複数のメーカーがタンポンの製造販売に乗り出し、1960年代から80年代にかけては、店頭で各種タンポンを手に取ることができました。

 

一方で、明治時代以来の「膣挿入弊害論」も相変わらず唱えられ、1970年代に社会問題化した“少女売春”の原因がタンポンの使用にあると説く医師やジャーナリストもいました。「タンポンを使うと処女膜が破れ、お嫁にいけなくなる」という心配から、関心があっても使うことができない若い女性も大勢いました。

 

 

「タンポンショック事件」

 

さらに、1970年代後半に、アメリカでタンポンの使用者に高熱、下痢、吐き気、発疹といったショック症状が現れ、少なくとも数十人の死者が出るという「タンポンショック事件」(※1)が起き、「タンポンは怖い」というイメージが広がってしまいました。

 

その後、徐々にタンポンメーカーが撤退し、2001年には「タンパックスタンポン」の輸入販売が終了、2003年には老舗のエーザイも製造販売を中止しました。現在、日本でタンポンの製造販売を行っているのは、ユニ・チャーム一社だけです。

 

タンポンの衰退は、戦時中に“タンポン派”となった女性たちが閉経を迎えたことや、ナプキンの性能向上と無関係ではないと思います。

それにしても、ナプキンの性能が今ほどよくはなかった時代、タンポンを使うことで女性たちの自由度は格段に増したはずです。しかし、タンポンに対するタブー視が、それを妨げていました。今を生きる私たちも、“無意味なタブー視”によって何か大切なものを失っているかもしれません。

 

 

※1 TSS(トキシックショックシンドローム)と呼ばれる細菌性ショックによるもの。吸収性の高いレーヨン素材のタンポンの製造を中止したところ、発症数は激減しました。

 

 

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プロフィール:
田中 ひかる
1970年東京生まれ。歴史社会学者。著書に『月経と犯罪 女性犯罪論の真偽を問う』(批評社)、『「オバサン」はなぜ嫌われるか』(集英社新書)、『「毒婦」 和歌山カレー事件20年目の真実』(ビジネス社)、『生理用品の社会史』(角川ソフィア文庫)など。

 

HP:http://tanaka-hikaru.com/

 

 

 

<田中ひかる先生のこれまでの #わたしのミチカケ コラム>

2019年11月 「ミチカケ」オープンに、アンネナプキンのデビューを思う

2020年2月 生理用品の進化は“タブー視”との闘いだった

 

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